昭和50年05月07日 朝の御理解



 御理解 第8節
 「子供の中にくずの子があれば、それが可愛いのが親の心じゃ。無信心者ほど神は可愛い。信心しておかげを受けてくれよ。」

 惟は道理であります。子供の中に本当に世間から相手にされない様な、子供がもしあるとするなら、親の心情と云う物は堪らない程に、切実にその子が可愛いと思う心が、強くなって行くだろう様にです、神様が切実にその屑の子の自覚に立つ人達の上に、それこそ堪らない程しの親の愛情と云う物を傾けられる。そういう道理のものだと云う訳です。私は今朝方本当に、それこそ頭痛が出る程のお夢を頂いた。
 と云うのはまぁ私のまぁ信頼しておるというか、真面目に信心をする二人の人がある事から、私を気違い病院に入れるというんです。余りのもの事に私はびっくりしてしまって、どう云う訳にそうなのかというたら、ぎりぎりのところ、言うなら人間のぎりぎりのところに立ち至った時に、例えばキリストの弟子の中に師匠を売ったという弟子が居りましたよね。そういう感じです。
 その私しにどう云う訳で入れるかと云う事は、それ模様に余んまりにこうーシタシタとしとるものですから、まぁ中々私を捕まえて、そしてその気違い病院に入れると言うのも、ちょいと向こうも躊躇する所がある様だけれども、ぎりぎりの所矢張りやっぱそうしなければ、自分の達の身が持てないと言った様な感じなんです。私がいろんなこう云う風な、何ですかまぁゲテモノ趣味ですから、私が何かその、瓦のね古るうい鬼瓦の付いた瓦をまぁ購入したと云う訳なんです。
 であなたがああいうその瓦を買いなさるごとなったら、もうお終いだ普通じゃないと云う訳なんです。そしたら高橋さんがです、けどあの瓦を見てご覧只の瓦じゃない、あの鬼瓦のあの彫刻の様な物は、あれはやっぱり骨董価値のあるもんだ。そこを見て親先生は買われたんだと言い訳をしてくれてるですけれども、側に大きな相撲取りの様な力の強い、男を一人連れて来とって私の腕を掴んで、どうでも気違い病院に入れなければいけないと云う様なお夢でした。
 私はもうそれが余りにも、生々しいもんですから、目が覚めた時には、ああ夢で良かったと云うだけじゃなくて、頭痛がしたりしました。余りにも信じておる、余りにも信用しておった、その可愛い云うなら弟子からですね、そのそうやられるのですから、こりゃ本当に思うのにも。人間ちゅうなぁどんなに立派であっても、どんなに良い信心が出来よっても、それに頼ると云った様な事やら。
 言った様な事はいけない事だと改めて思わせて頂いたんですけれども、惟は私の修行中の時代に、私の親ですらね、ひょっとしてあのう狐付きじゃないだろうかと言うて、心配しとる時代が御座いましたです。秋永先生やら久保山先生あたりに、母がそのうそらぁちょっとやっぱ、変わった事してましたからね、御祈念をするでも先ず神様の世界での私の位置と云う物からしか御祈念をしなかったんです。
 まあ言うならば今から考えて見ると、そう云う事が御祈念の形にも現れておったりしとりましたから、まあ見方ではこの頃大坪さん間違うてあると云う風に、まあ惟は教会関係の親先生始め、そう云う風に見ておられたんじゃないかと思います。けれどもその頃には私は、只有難いの一念でしたし、それこそ久保山先生が何時も申します様に、大坪さんこういう難儀の中に本当に有難いんですかと言われる位に有難かったんです。
 まあ何時も私の過去の信心を聞いて頂くんですけれども、まあ云うならば次々と兄弟達の不幸の事、それから借金の断りに行かなければならなかった時分、その時分は矢張り苦しいと云う事で1杯だった様に思います。苦しかったからこそ一生懸命のまあ信心もした訳です。所がそのう借金はしとっても、借金はもうある時払いで良いと云った様な事にならせて頂いたり、又弟達の戦死の公報を受けて、どう云う訳で弟が亡くなったのかそれが知りたい、それが解りたいというて神様に直接談判とでも申しましょうか。
御本部に参ってその訳が聞きたい。そのどう云う訳で死んだのか、聞きたいというて一生懸命の打ち向かい方か、行く時と帰る時は、もう全然違った境地が開けておって、惟が御神徳と云う物だろうかと思う位に、心の中が楽になり有難くなると云う話を何時も致しますね。ですからあのう借金を断りに行く時点に於いては苦しい事であった。又は弟達の例えば戦死と云った様な時には、その肉親の情というかね。
 そのうもうどうにも是程信心するのに、どうしてこんな事ったかと言った様な事で一杯であった苦しかったけれども、なら行きと帰りとでは、地獄と極楽程に境地が変わっておったと云う事ですね。行き掛けは只苦しいばっかり、どうかその訳が解りたいというだけだったけれども、帰りはもう有難うして有難うして兎に角満員の汽車の中で席を頂いたならそれが有難い、立って人に譲るのが有難い、車窓から見える丁度田圃に、ま是位ばかりの稲が、水田が伸びる位だった時分でしたけれども。
 その水田を眺めてもう何を眺めても有難しうして有難うしてという境地が開けて来ておったんです。ですから私がその前当たり、その時分の時代と云う物は矢張り、久保山先生が不思議がりなさった様に、そう云う中に例えば、有難い有難いと云うのは、もう普通じゃない。やっぱり気違いだというしか無かったかも知れませんですね。けど昨日私ある本を読ませて頂いとりましたら、世界の四賢人と言われるですかね。
 聖人と言われるですかね、ソクラテス、そりから、キリスト、それから釈迦支那の孔子と言う様な人達の難儀、魂魄、苦労をされた時代の事を、こういう言葉で表現してあった。人心の開発を又は救済をなす、外からは苦心苦行に見えるも当人は只、有り難しの真の悦楽の業であったと言う風に書いてあります。人の心が開発される。自分の心が開発された。自分の心は開発されるわけです。苦労と云うものは修行と云うものは、自分の心を開発させるものです。
 救済をなす、云うならばそいう中に人が助かって行く。それは人から見るとです、苦心であり苦行であるけれども、当人は只有難しの一念であり、真の業であったと悦楽の行である。私は是を読ませて頂いて、私もそうだったな自分で思いました。一部の人達はもう、大坪さんの話を聞いて蘇る、もう助かるとそういうて下さった。けど一部の人達は大変困った時代がありました。まあ云うならば毒ひらくちの様なものであった。毒にもなれば薬にもなるといった時代です。
 まあいうならばあのーお知らせ頂いたのですけれども、あのゴムの様な物をお風呂に炊いて風呂を沸かしてある。風呂に入っておる人は極楽といっておるけれども、その周囲におる人は、もうその臭いがあまりにも酷いものですから、鼻つまみされておった時代なんです。もうこっちだけ呆けてしまうごと有難いもんですから、もうそげな事なんか無頓着であった。只悦楽の業であったと思うんです。是はなら日本の教祖宗祖と云われる方達は全部そうでなかったかと思うです。
 私は思うんですけども、唯本当に修行が苦しい苦しいと言う間はです、まあだですね。我屑の子の自覚と云う物が出来てないんです。出来とる様であってね、我屑の子の自覚が出来た時です、食べる資格もなからなければ、着る資格もない、そう云う物がとてもとても私一人じゃない、家族の中の者にそれを感じたんです。とても私達は一生風呂にども入られる身分じゃないと思ったですから、一生風呂にも入りません。着れ一寸買いません。それは屑の子の自覚に立ったからです。
 そういう資格がない私だと気が付いたからです。そういう修行がなされて行く内にです、云うなら悦楽の境と云う物が開けて来たんです。と云う事はどう云う事かというと、そう云う我屑の子の自覚に立った時に神は無信心者程、又は無信心とも自分の信心の至らない、又は自分が愈々屑の子であると自覚に立った時にです、神はそう云う屑の子、又は無信心者ほど可愛いという、神様の願いと云う物が私の心の中に蔓延して来たんです。ね。可愛いと云う神様の情にもうほだされておったんです。
 だから私今から考えて見て一っつも本当に修行と思ってないですもんね。今から考えて見て只ほんに引き上げて帰って、弟の戦死を聞いたり、それから次々と商売をして借金が重さんで身動きが出来なくなって、商売を止めなければならない羽目になって、その借金の断りに行った時代は、一生懸命の借金払いをしたい気持ちで苦しんだし、苦労であったけれどもです。そのあのう借金払いが、あるとき払いで良いと云った様な事になって、この方と云う物は、只有難いの一念であったと云う事。
 だから其処ん所一時は苦しいんです。云うなら私が何時も言う様に、地獄の釜の底を踏み抜いたその底に極楽があると云うのはもう底なんです矢張り。本当はやっぱ私程屑の子はありませんと言うとってからまだ苦しい、ならまだ屑の子の自覚に立ってないんです。まあだ地団太踏んで、地獄の釜の言うならば底を踏んでおる時ですから、もっと勢をもって踏み抜かなければいけないです。
 とても着る資格どんとか、食べる資格どんがあるとは思わなかったです。事実人並みの物を食べようとか、人並みの物を着ろうとか、人並みの住まいに住まうとか云った様な心の状態がある間は、まだ自分が屑の子の自覚が出来てない証拠なんです是は。まだ人並みの生活がしたいと何か思うておる時に、そうでしょうが。そして人並みの事が出来んのが残念であったり、苦しかったりする。それよりゃまぁだまだ、本当の人心の開発と云う物が、人の人間の心の開発と云う物がか出来てない時なんです。
 又そう云う物が出来て開発されたらです、そこに人が助かるです、ね。私は食べる資格ない着る資格ない、私はあの時分にこそ本当に私自身屑の子の自覚が出来ておったんだと思います。その証拠には、私はねもう本当に只ただ喜びしかなかった。云うなら今から考えて見ると、ある時分の修行と云う物は、悦楽の業であったと言う事になります。私は御理解第八節というのは、八の字が付いとるから、此処ん所が解ったらもう広がりに広がって行くという、是は御教えだと思いますね。
 私は今日改めてです、屑の子の自覚とかを無信心者の自覚とか云う様なです、無信心者と言う事は本当の信心が解っていない者という自覚なんです。屑の子と云うのはです、本当に我屑の子という、どんなに例えば熱心に信心が出来でおっても、我屑の子と云う自覚。というのは、なら屑の子だからとても私は人並みの物が食べられるはずはない。人並みの物が着れるはずはない。それはもう本当にあの時分に、どうしてああいう時分にああいう心が出来たか知らんけど。矢張り屑の子の自覚が強ければ強い程ですね。
 一生風呂にも入る資格がないと云う物も出来たんじゃないでしょうか。勿論朝晩水行をして頂いとりましたから、もうその垢やら付かんでした。けれども一生私はそれを過す、それでそう思い込んでおりました。只思うた事はあのうまだ年をとっておる両親がおりますから、この両親子供だけにはせめてお粥さんでも良いから、腹いっぱい食べさせて頂きたいと云う願いは持っておりました。
 けども私はもう一生そげん三度、三度御飯を食べるてんなんてん、固い御飯を食べるてんなんてんもう夢にも本当思いませんでしたですよ。それは屑の子の自覚が愈々出来たからですよそれは。そう言う決心が出来たんです、さぁそう言う決心が出来たらとたんに、神様の言うなら屑の子可愛いと言う働きが始まったんです。それは何かというと、私の心の中に只ただ有難しの一念だけしか心の中に無かったから、今から考えて見るとそれ以後の修行と云う物はもう。
 只ただ大坪さんほんな事そげん有難かですかと云う物だけしかなったです、事実。だからひとっつも今から振り返って見て、ほんにあの時分にゃ苦しい事であったと言う事では無いです。只ただ私は人が助かる様になって此方と云う物は有難いばぁっかりだたんです。私の話を聞いて皆さんが、待ち望んで私の話を聞いて下さる様になって、此方と云う物はね、是は教祖さまの場合でもやっぱりそうであった。
 天理教の教祖様でもそうであっただろう。ね。あらゆる教祖、宗祖と言われる方達の場合は、皆んなそうであっただろうと、私は是は世界の四聖人と言われる人達だけではない。と云うならばお互い信心させて頂く者も矢張りね、愈々難儀から難儀が続くならばですね、本当にこういう資格しかない自分という自覚に立ったらです、潔い心が生まれて来るです。今日とても風呂にどん入られる自分ではない。
 本当にそういう自覚が出来た時に、その自覚に引換えの様に屑の子程可愛いという神様の働きが始まるはずです、そこに悦楽があるのです。信心の喜び所謂妙境があるのです。だから暑い時に暑さを感じず、寒い時に寒さを感じん事は私はそう云う事だと思います。本当に例えばお徳を受けると云う事はです、親の代より子の代、子の代より孫の代と云う様に、繁昌の一途を辿る事でありましょうがです、それには矢張り元を取って開く者はあられの行をする、けれどもそれは脇から見たらです。
 大変な苦行であり、又は苦心である様に見えますけれど、当本人はです只ただ有難いの一年だけしかない。もし私があの時分にです、今朝からお夢を頂いとる様にね、あれが信心なしにああ言う様な、云うなら呆け方とでも申しましょうかね、何かにしたら本当に絶対気違い病院に入れられたに違いありません。本気に気が違って行きよるとじゃけんね。人間の心から神様の心に違うて行きよる時ですから、信心のおかげでまあいうならば気違い病院にも入らんで只、心の中には只喜ばしい有難いだけであった。
 お風呂に入らんてんなんてん、又は一食のお粥しか頂けないなんて、もう兎に角その一食のお粥を頂くと云う事が、もう有難うして有難うして、又二十四時間後の又このお粥を頂かれる時の事を思うただけでも有難かったです、本当にね。もうそれこそ何年間同んなじ夏の洋服一枚の、云うなら着替えなしの着物です。そのかわり下着は毎日の様に替えさせて貰う訳ですけれども、その事が有難かったです。
 その時分本当に家内と布一寸買いませんと云う様な事が、本当によう神様に約束出来たもんだと思う位に、やっぱり有難かったんじゃないでしょうかね、その時分の事を思う時に。そしてそれが今考えて見て、ほんにあの時分は苦しい事じゃったと一つも思うてない言う頃に矢張りね、悦楽の業であったとしか思われません。一つぎりぎり我屑の子の自覚が本当に出来る事が、その出来たもうその時点からです。
 神様の特別の働きが始まる。それは特別に可愛いというておかげを下さるというのでなくて心の中に下さる。ですからもう一切が有難うして有難うして応えんという、その事に繋がって来る訳です。とても本当にく-っとした顔だん、今から思うと全然しておらなかったと思うです。その中にあった時もうそれこそ何時も、にこにことにこやかだったと自分で思います。それはもう押せば倒れる様に、痩せてはおりました。
 当時の写真を見るとね、けれども深刻な苦しい顔はしてなかったと思んです。心の中は喜びで一杯だったからですね、信心と云う物はそういう暑くても暑さを感じん、寒くても寒さを感じさせん様な、私はものだと私は思います。改めて今日はその四聖人の事を、昨日読ませて頂いてあったがです、是は私もやっぱりそうだったなと思うたんですね。どうぞ是を一つ是を浅く頂けばです。
 只人間の情の程度にしか感じられません。自分の子供の中に出来損ないがおればそれが方が可愛いと思うだけでどうにもしようがない。それが親です人間です。けども屑の子程可愛いと云うのがです、神様になられたらですね、可愛いという神様の情念がです、もうそれこそ暑い時に暑さを感じさせん程しの喜びを与えて下さるんだと云う事であります。   どうぞ。
 私が昨日今朝お夢を頂いた時に、はっきり名前高橋さんがあのう、言い訳して下さった。から傍にその繁雄さんがおんなさる訳です。だからね私は今気違い病院に入れられよるけん、繁雄さんこの事を家に知らせてくれんのと言いよるばってん、その男と二人の人がね、傍におってから物言わせん様にするのですよ。傍におんなさるけど言付けが出来んと言う様な所、場面があったんですよ、私は本当今朝目が覚めたら頭痛こきだしとったです。それがあまり信頼し過ぎとる信者でしょうが、ね。
 でなければ出来んというごと信頼しとるとでしょうが、それもんじゃからそのショックが夢の中で非常に強かったと思うんですね。高橋さんは横からありゃその言い訳してやりよんなさる所です、繁雄さんな傍におんなさるけん、私がいうたら走って行ってやらっしゃるごたるけんど、言われんとです、それがみようなもんで本当にもう、そしてなら今朝の御理解であり、同時になら昨日、私が読まして頂いた本からこう抜粋しとった、それとこう繋がっておる所の具合がです、夢も昨日読んだ事も、そして私の過去の修行も繋がっておると言う事が言えますね。